神社とのかかわり
細石神社は糸島市三雲にあり、私の氏神様です。自宅が近接することから、こどもの頃は遊び場、今は散策の場。境内には蹲があります。蹲は文政十一年(1828年)に同名のご先祖が奉納したもの。この蹲を見るたびにご先祖とのつながりを強く思います。
神社の由来と祭神
細石神社の「細石」は「さざれいし」と読み、国歌「君が代」の起源がこの地にあるという説があります。古くは「佐々禮石神社」と表記されていました。ご祭神は磐長姫と木花之開耶姫(日向第一代ニニギノミコト妃)の姉妹二柱、天孫降臨にまつわる姉妹が祀られています。
伊都国との関わり
細石神社のあるところは、三雲南小路遺跡の「伊都国王墓」祭祀の場所と言われています。その祭祀は約300年続けられ、初代伊都国王と王妃が眠る三雲南小路遺跡の周溝から丹塗土器を含む祭祀土器が大量に出土。これらは王墓のまわりで行なわれていた祭祀で捧げられたものと考えられます。細石神社はその祭祀の中心に位置し、伊都国解明の鍵を握っているのではないかと思われます。
伊都国の歴史的重要性
『魏志倭人伝』によると、伊都国は代々王のもとに官制を整え、女王国を統属し、中国歴代王朝の出先機関・帯方郡からの使者が往来して常駐していた。また諸国監察の権限を持つ「一大率」が置かれ、外交・貿易を統括、中国王朝の出先機関と往来し、古代の倭国を代表して政治と外交・貿易の全権を握っていた存在、それが伊都国です。古代史学会では一致した結論として、その所在地は現在の糸島市(怡土)に比定するのが定説となっています。
神社周辺の歴史的スポット

細石神社への約200mの参道ー地元では「まとばま」と呼んでいるーの先には天孫降臨の地として有力視されている日向峠があります。志賀島で発見された金印「漢委奴国王」について、その真偽や読み方に多くの議論があったことは周知の通りですが、当地にはこの金印が細石神社の守り神であったとの言い伝えもあり、その読みの「委奴国王(いとこく、伊都国)」説があります。また、まとばまの先にコノハナノサクヤヒメの子、ヒコホホデミノミコトの生誕の地とされる「八龍の森」があります。
神社の歴史的変遷
元禄八年(1695年)『細石神社御縁起』によれば、古くは神田も多く大社であったと記されています。しかし、たび重なる兵乱で社殿は焼失し、天正十五年(1587年)の太閤検地により神田は没収され衰退。また、『筑前國續風土記拾遺』に「天正十五年太閤に神領没収せられ、昔祭日ありし流鏑馬も中絶し・・・」。これらのことから往古の細石神社は大社で、多くの人の尊崇を集めていたと思われます。
境内の自然と文化
記憶の玉手箱を紐解くと、昭和40年頃までは境内にたくさんの玉虫がいました。玉虫は紡錘状で体長が約4㎝、体には金緑色と金紫色の2条の縦線。その羽は美しく、装飾に使用。法隆寺の「玉虫厨子」の透彫の金具の下に敷かれていることでも有名。数年前、境内で玉虫の亡骸を見つけました。古代につながる玉虫に時を超えた郷愁を感じました。
糸島の歴史のロマンを感じてください
細石神社は、伊都国の歴史と文化を今に伝える貴重な文化遺産です。神社周辺には三雲南小路遺跡や八龍の森など、古代の歴史を感じられるスポットが点在しています。国歌「君が代」の「さざれ石」の由来とされる細石神社を訪れることで、古代日本の神秘と糸島の豊かな歴史文化に触れることができます。また、春の桜や秋の紅葉など、四季折々の自然美も楽しめる場所です。糸島観光の際には、ぜひ細石神社に立ち寄り、悠久の時を超えた歴史のロマンをご体感ください。

